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最高裁判所第三小法廷 昭和63年(行ツ)41号 判決

上告人

右代表者法務大臣

左藤恵

右指定代理人

加藤和夫

都築弘

青野洋士

石井貴明

武田みどり

井上邦夫

被上告人

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

渡辺務

海渡雄一

主文

原判決中上告人敗訴の部分を破棄する。

第一審判決中上告人敗訴の部分を取り消す。

前項の取消部分に関する被上告人の請求を棄却する。

第一項の破棄部分に関する被上告人の附帯控訴を棄却する。

訴訟の総費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人菊池信男、同森脇勝、同金子泰輔、同小林義弘、同大田黒昔生、同中山弘幸、同山口晴夫、同山田文夫、同澤村佳夫、同富山聡、同森幸夫の上告理由について

一原審の確定した事実関係は、次のとおりである。

1  被上告人は、爆発物取締罰則違反等により起訴され、昭和五〇年七月から東京拘置所(以下「拘置所」といい、その長を「所長」という。)に勾留されているが、昭和五四年一一月一二日第一審で死刑の判決を、昭和五七年一〇月二九日控訴審で控訴棄却の判決を受けた。

2  被上告人は、昭和五八年四月一四日、岩手県に居住する甲野春子と養子縁組をした。右養子縁組は、死刑廃止運動に賛同した春子が被上告人を自己の養子にしたいと決意しその旨を申し入れたことから成立した。したがって、被上告人と甲野一家とは従前生活を共にしたことはないが、それぞれが可能な範囲・方法で接触を保つように努力しており、現に春子及びその長女甲野夏子は何回となく被上告人に面会に来ていた。

3  ところで、従来、拘置所では、在監者と一四歳未満の者(以下「幼年者」という。)との面会をかなり広く認めていた。しかし、昭和五三年後半ころ、特定の事件の支援者が、子供を同伴した上在監者と接見し、その後子供と共に拘置所内でシュプレヒコール等をしたので、拘置所側がこれを排除しようとしたところ、子供の身体に危険が生じたことがあった。そこで、拘置所は、そのころから在監者と幼年者との面会を全面的に禁止した。昭和五四年八月二日、拘置所は、この取扱いを改め、在監者と幼年者との面会は、(ア)在監者の処遇上必要がある場合、及び、(イ) 勾留が長期にわたっていること、面会の相手が在監者の実子であること、進学、進級等子供の教育上必要があるか配偶者の病気、入院等子供の成育上必要があるなど特別の事情があること、年二回程度であることという条件をすべて具備した場合、にのみこれを許可することとした。そして、同日以降この取扱いが定着し、幼年者との面会を希望する在監者は、事前に所長に対し面会の許可の申請をしている。

4  被上告人は、養子縁組の成立前から夏子の長女甲野秋子(昭和四八年八月二六日生)と文通をしていたので、何回となく所長に対し秋子との面会の許可申請をし、その申請書に被上告人と秋子との関係、被上告人が秋子に面会したい理由等を記載したが、毎回不許可となった。被上告人は、昭和五八年五月三〇日、同年四月二七日にした秋子との面会許可申請が不許可となったので、その取消しを求めて法務大臣に情願書を提出し、春子、夏子及び秋子は、所長に上申書を提出するなどした。

5  被上告人は、昭和五九年四月二七日、所長に対し、秋子との面会の許可の申請をしたところ、所長は、翌二八日監獄法施行規則(以下「規則」という。)一二〇条によりこれを許可しない旨の決定(以下「本件処分」という。)をし、同年五月二日被上告人に対し本件処分を告知した。

そして、秋子が同月四日、七日母夏子と共に所長に対し当時未決勾留中であった被上告人との面会の許可の申請をしたが、所長は秋子と被上告人との面会を許さなかった。

二右事実関係の下において、原審は、所長のした本件処分につき裁量権の範囲を超え又はこれを濫用した違法があり、かつ、国家賠償法一条一項にいう「過失」があると判断した上、被上告人の請求のうち慰謝料五万円及びこれに対する昭和五九年五月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金の支払を求める部分を認容した第一審判決を相当であるとして控訴を棄却し、かつ、被上告人の附帯控訴に基づき弁護士費用一万円の支払請求を認容し、その余の請求を棄却した。

三しかしながら、原審の右判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。

1  未決勾留は、刑事訴訟法の規定に基づき、逃亡又は罪証隠滅の防止を目的として、被疑者又は被告人の居住を監獄内に限定するものである。そして、未決勾留により拘禁された者(以下「被勾留者」という。)は、(ア) 逃亡又は罪証隠滅の防止という未決勾留の目的のために必要かつ合理的な範囲において身体の自由及びそれ以外の行為の自由に制限を受け、また、(イ) 監獄内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が認められる場合には、右の障害発生の防止のために必要な限度で身体の自由及びそれ以外の行為の自由に合理的な制限を受けるが、他方、(ウ)当該拘禁関係に伴う制約の範囲外においては、原則として一般市民としての自由を保障される(最高裁昭和四〇年(オ)第一四二五号同四五年九月一六日大法廷判決・民集二四巻一〇号一四一〇頁、同昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三頁参照)。

2  ところで、被勾留者の接見に関する法律の定めは、次のとおりである。

(一)  刑事訴訟法八〇条は、勾留されている被告人は弁護人等同法三九条一項に規定する者以外の者と法令の範囲内で接見することができるとしている。

(二)  そして、監獄法(以下「法」という。)四五条一項は、「在監者ニ接見センコトヲ請フ者アルトキハ之ヲ許ス」と規定し、同条二項は、「受刑者及ビ監置ニ処セラレタル者ニハ其親族ニ非サル者ト接見ヲ為サシムルコトヲ得ス但特ニ必要アリト認ムル場合ハ此限ニ在ラス」と規定し、「受刑者及ビ監置ニ処セラレタル者」以外の在監者である被勾留者の接見につき許可制度を採用することを明らかにした上、広く被勾留者との接見を許すこととしている。

右に前記1で説示したところを併せ考えると、被勾留者には一般市民としての自由が保障されるので、法四五条は、被勾留者と外部の者との接見は原則としてこれを許すものとし、例外的に、これを許すと支障を来す場合があることを考慮して、(ア) 逃亡又は罪証隠滅のおそれが生ずる場合にはこれを防止するために必要かつ合理的な範囲において右の接見に制限を加えることができ、また、(イ) これを許すと監獄内の規律又は秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が認められる場合には、右の障害発生の防止のために必要な限度で右の接見に合理的な制限を加えることができる、としているにすぎないと解される。この理は、被勾留者との接見を求める者が幼年者であっても異なるところはない。

(三)  これを受けて、法五〇条は、「接見ノ立会……其他接見……ニ関スル制限ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム」と規定し、命令(法務省令)をもって、面会の立会、場所、時間、回数等、面会の態様についてのみ必要な制限をすることができる旨を定めているが、もとより命令によって右の許可基準そのものを変更することは許されないのである。

3  ところが、規則一二〇条は、規則一二一条ないし一二八条の接見の態様に関する規定と異なり、「十四歳未満ノ者ニハ在監者ト接見ヲ為スコトヲ許サス」と規定し、規則一二四条は「所長ニ於テ処遇上其他必要アリト認ムルトキハ前四条ノ制限ニ依ラサルコトヲ得」と規定している。右によれば、規則一二〇条が原則として被勾留者と幼年者との接見を許さないこととする一方で、規則一二四条がその例外として限られた場合に監獄の長の裁量によりこれを許すこととしていることが明らかである。しかし、これらの規定は、たとえ事物を弁別する能力の未発達な幼年者の心情を害することがないようにという配慮の下に設けられたものであるとしても、それ自体、法律によらないで、被勾留者の接見の自由を著しく制限するものであって、法五〇条の委任の範囲を超えるものといわなければならない。

原審は、規則一二〇条(及び一二四条)は幼年者の心情の保護を目的とするものであり、これに対する具体的な危険を避けるために必要な範囲で監獄の長が幼年者と被勾留者との接見を制限することを認めた規定であるという限定的な解釈を施した上、法はそのような制限を容認していると解する余地があるとして、右各規定が法五〇条の委任の範囲を超え、無効であるということはできないと判断した。しかし、前記のとおり、被勾留者も当該拘禁関係に伴う一定の制約の範囲外においては、原則として一般市民としての自由を保障されるのであり、幼年者の心情の保護は元来その監護に当たる親権者等が配慮すべき事柄であることからすれば、法が一律に幼年者と被勾留者との接見を禁止することを予定し、容認しているものと解することは、困難である。そうすると、規則一二〇条(及び一二四条)は、原審のような限定的な解釈を施したとしても、なお法の容認する接見の自由を制限するものとして、法五〇条の委任の範囲を超えた無効のものというほかはない。

そうだとすれば、規則一二〇条(及び一二四条)は、結局、被勾留者と幼年者との接見を許さないとする限度において、法五〇条の委任の範囲を超えた無効のものと断ぜざるを得ない。

4  以上によって本件をみるのに、原審の確定した事実関係によれば、被上告人と秋子とが接見したとしても、(ア) 被上告人が逃亡し又は罪証を隠滅するおそれが生ずるとも、(イ) 監獄内の規律又は秩序が乱されるおそれが生ずるとも認められないというのであるから、所長は、法四五条の趣旨に従い、被上告人と秋子との接見を許可すべきであったといわなければならない。ところが、所長は、本件処分をし、これを許可しなかったのであるから、本件処分は法四五条に反する違法なものといわなければならない。

これと異なる見解に立つ上告理由第一点は、採用することができない。

5  そこで、進んで、国家賠償法一条一項にいう「過失」の有無につき検討を加える。

思うに、規則一二〇条(及び一二四条)が被勾留者と幼年者との接見を許さないとする限度において法五〇条の委任の範囲を超えた無効のものであるということ自体は、重大な点で法律に違反するものといわざるを得ない。しかし、規則一二〇条(及び一二四条)は明治四一年に公布されて以来長きにわたって施行されてきたものであって(もっとも、規則一二四条は、昭和六年司法省令第九号及び昭和四一年法務省令第四七号によって若干の改正が行われた。)、本件処分当時までの間、これらの規定の有効性につき、実務上特に疑いを差し挟む解釈をされたことも裁判上とりたてて問題とされたこともなく、裁判上これが特に論議された本件においても第一、二審がその有効性を肯定していることはさきにみたとおりである。そうだとすると、規則一二〇条(及び一二四条)が右の限度において法五〇条の委任の範囲を超えることが当該法令の執行者にとって容易に理解可能であったということはできないのであって、このことは国家公務員として法令に従ってその職務を遂行すべき義務を負う監獄の長にとっても同様であり、監獄の長が本件処分当時右のようなことを予見し、又は予見すべきであったということはできない。

本件の場合、原審の確定した事実関係によれば、所長は、規則一二〇条に従い本件処分をし、被上告人と秋子との接見を許可しなかったというのであるが、右に説示したところによれば、所長が右の接見を許可しなかったことにつき国家賠償法一条一項にいう「過失」があったということはできない。

上告理由第二点は、所長に国家賠償法一条一項にいう「過失」がなかったことを主張する限りにおいて理由がある。

6  以上によれば、前記のとおり被上告人の請求を一部認容すべきものとした原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があり、その違法が原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。そして、右に説示したところによれば被上告人の請求は理由がないから、原判決中上告人敗訴の部分を破棄し、第一審判決中上告人敗訴の部分を取り消した上、右取消部分に関する被上告人の請求を棄却し、かつ、右破棄部分に関する被上告人の附帯控訴を棄却すべきである。

よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官園部逸夫 裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己 裁判官佐藤庄市郎 裁判官可部恒雄)

上告代理人菊池信男、同森脇勝、同金子泰輔、同小林義弘、同大田黒昔生、同中山弘幸、同山口晴夫、同山田文夫、同澤村佳夫、同富山聡、同森幸夫の上告理由

第一点 原判決には、監獄法(以下「法」という。)四五条、五〇条、同法施行規則(以下「規則」という。)一二〇条、一二四条の解釈適用を誤った違法並びに東京拘置所長の裁量権行使の適否についての認定判断を誤った違法があり、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一 原判決は、「未決勾留は、刑事司法上の目的のため必要やむを得ない措置として一定の範囲で個人の自由を拘束するものであり、他方、これにより拘禁される者は、原則として一般市民としての自由を保障されるべき者であるから、未決勾留により拘禁された刑事被告人についていえば、逃亡又は罪証隠滅の防止という勾留の目的のためのほか、監獄内の規律及び秩序の維持という監獄の正常な管理運営保持の目的のため、必要かつ合理的な範囲内においては、身体的行動の自由のみならず、それ以外の行為の自由をも制限を受けることを免れないものというべきであるが、刑事被告人に対し右を超える制限を課することは、その地位に鑑み、他の利益に対する具体的な危険を避けるため以外には、許されないものというべきである。しかして、法(引用者注・引用する原判決中に「法」とあるのは、「監獄法」である。)は、右に述べたところを当然の前提としているものであり、したがって、刑事被告人と外部の者との接見について法は右に述べた範囲内においてのみこれを制限しているものと解することができる。そうすると、刑事被告人につき、規則(引用者注・引用する原判決中に「規則」とあるのは、「監獄法施行規則」である。)によって定められる制限もまた、右の趣旨に則ったものでなければならないことはいうまでもない」(原判決の引用する第一審判決二四丁裏一一行目から二五丁裏七行目まで)、「(規則一二〇条は)事理の弁別能力が未熟で、監獄職員の指示を理解して秩序ある行動をとることの期待し難い幼年者が、在監者との面接を求めて単独で施設内を往来するような事態は避けるべきであるというような監獄の管理運営保持の目的の外、監獄が反社会的な行為をした犯罪者等を拘禁している施設であり、そこで事物の弁別能力が未熟な幼年者を在監者に接見させることは、幼年者の心情を害する具体的な危険が大きいということに鑑み、このような幼年者の心情の保護を目的としているものと解されるが(中略)、幼年者の在監者との接見が常に幼年者の心情を害する具体的な危険を招来するものでないことは容易に考えられるところである(例えば、実子ないしこれに準ずる者に対する教育上・成育上の必要が肯定される場合も多いであろう。)から、同条は、少なくとも、幼年者と刑事被告人との接見については、幼年者の心情を害する具体的な危険を避けるために、その範囲で、これを制限しているものと解釈されるべきものである(控訴人が主張するように、幼年者の心情を害すべき抽象的・一般的な危険があるから原則的に接見を禁ずることができるものと解釈することは、前記の法の趣旨に反することとなるのである。)」(原判決一五丁表八行目から一六丁裏二行目まで及び原判決の引用する第一審判決二五丁裏九行目から同二六丁表七行目まで)とした上、「規則一二〇条は、その文言にかかわらず、刑事被告人と幼年者との接見について、勾留の目的又は監獄の正常な管理運営保持の目的のため必要かつ合理的な範囲における制限及び幼年者の心情を害する具体的な危険を避けるための制限を定めたものであり、同条は、規則一二四条と相侯って、右に述べたとおり適用されなければならない。そして、監獄の長は、刑事被告人と幼年者との接見につき申請があった場合には、右に述べた制限に当たらない限り、規則一二〇条、一二四条を適用して、その接見を許さなければならないものと解すべきである。もとより、監獄の長には、殊に、監獄の正常な管理運営保持の目的に関し、その目的に支障を生ずるおそれがあるか否か、それを避ける措置として右接見を制限することが必要かつ合理的かといった判断については、相当に広汎な裁量権が与えられていることはいうまでもないし、幼年者の心情を害する具体的な危険の有無の判断においても、監獄の長がすべての在監刑事被告人の身上等を把握しているわけでない以上は、実際問題として必要な資料に基づき必要な範囲の調査をしたうえでこれを決することとする外はないが、そのような具体的危険の存在しないことが判明しているときや、僅かな調査によってそれが判明する場合であるのに敢えてこれをしないで、幼年者との接見を拒否するのは、同条の解釈適用における裁量判断を誤ったこととならざるを得ない。」(原判決一八丁裏三行目から一九丁表二行目まで及び原判決の引用する一審判決二八丁裏三行目から二九丁表六行目まで)旨判示し、規則一二〇条による接見制限について、幼年者の心情を害する「具体的危険」が判明していない限りは接見を認めなければならないとする制限解釈をし、これによらなかった東京拘置所長の判断に誤りがあるとしている。しかしながら、右判断は、次のとおり、誤っている。このことを項を改めて述べる。

二 在監者と外部の者との接見について、法は、「在監者ニ接見センコトヲ請フ者アルトキハ之ヲ許ス」(四五条一項)、「接見ノ立会、信書ノ検閲其他接見及ヒ信書ニ関スル制限ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム」(五〇条)旨規定し、これを受けた規則は、「十四歳未満ノ者ニハ在監者ト接見ヲ為スコトヲ許サス」(一二〇条)、「所長ニ於テ処遇上其他必要アリト認ムルトキハ前四条ノ制限ニ依ラサルコトヲ得」(一二四条)旨規定しているが、法五〇条は、法四五条及び四六条によって認められる接見及び信書授受の自由を制限できること及びその制限が命令の形式でされるべきことを規定したものであるから、規則の定めが合理的なものである限り、法の委任によるものとしてその効力を妨げられることはないのである。

ところで、規則は、前記のとおり、一四歳未満の幼年者については、原則的に接見を許さないこと(一二〇条)とした上、例外的に所長(刑務所、少年刑務所及び拘置所の長をいう(規則三条)。以下同じ。)の裁量により接見を許すことができること(一二四条)としている。この規則一二〇条の規定は、法及び規則が制定された当初(明治四一年)から設けられていたもので、その制定理由は、犯罪者等の拘禁施設という特殊な環境から、事理を弁別する能力の未発達な幼児の心情を保護し、幼児の将来に悪影響を及ぼさないようにとの刑事政策上の要求に基づくものである(制定理由については、小河滋次郎・監獄法講義三七二ページ、三七三ページ参照)。同条の趣旨とする犯罪者等の拘禁施設という特殊な環境の影響から幼年者の心情を保護するという要請は、戦後制定された「児童福祉法」における児童の福祉の保障、育成の責任の精神や「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」等における年少者に対する禁止行為規定にみられる年少者の保護育成の精神と一致するところであり、現在においても十分な合理性を有するものである。

もっとも、幼年者の保護の目的であっても、その実現のため、接見という自由権を制限するものである以上、可能な限り、制限し得る場合を明確に規定することが望ましいことはいうまでもないところである。しかし、幼年者の心情を害すべき危険の有無の判断基準を個別的・具体的に規定することは、事柄の性質上極めて困難である上、幼年者の心情がいったん害された場合にはその回復が著しく困難であることにかんがみ、規則は、一四歳未満という一定の年齢をもって原則的に右心情を害する危険がある場合とし、右の客観的基準によってこれを判断することとしたのである。しかも、規則は、一四歳未満の幼年者についても、在監者との接見のすべてを禁止しているのではなく、所長において必要があると認めるときには接見を許すことができる(規則一二四条)こととしており、接見者との関係、接見の必要性等をも含めたもろもろの個別的、具体的事情を総合的に考慮した上での所長の合理的な裁量判断により、具体的に妥当な取扱いがなされ得るように配慮しているのである。

ちなみに、個々の具体的な事案に応じて年少者に及ぼす具体的危険の有無、責任能力の存否等を判断することが困難なことから、一定の年齢で行為の制限、免責等を規定している法律は、刑法四一条、一七六条及び一七七条、未成年者飲酒禁止法、未成年者喫煙禁止法、児童福祉法三四条等枚挙にいとまがないところであり、これらの法律に照らしてみても、規則一二〇条が、一四歳未満の幼年者については、原則的にその心情を害すべき危険が存在するとして、在監者との面会を禁止しているのは、相当なものというべきである。

三 原判決は、前記のとおり、規則一二〇条は、「少なくとも、幼年者と刑事被告人との接見については、幼年者の心情を害する具体的な危険を避けるために、その範囲で、これを制限しているものと解釈されるべきものである」旨判示している。右判示は、未決拘禁者と受刑者とを区別し、未決拘禁者については前記の制限的解釈をするものとも理解できる。

しかしながら、幼年者の保護を趣旨とする規則一二〇条の解釈について、未決拘禁者と受刑者を区別する合理性は存しない。

1 未決勾留は、刑事訴訟法の規定に基づき、逃亡又は罪証隠滅の防止を目的として、被疑者又は被告人の居住を監獄内に限定するものであって、右の勾留により拘禁された者は、その限度で身体的行動の自由を制限されるのは当然であるが、右の目的のための拘禁施設への収容に伴う必要かつ合理的な範囲において、それ以外の行為の自由をも制限されることは、やむを得ないところである。この場合において、これらの自由に対する制限が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかは、右の目的のために制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決せられるべきものである(最高裁昭和四五年九月一六日大法廷判決・民集二四巻一〇号一四一〇ページ、最高裁昭和五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三ページ参照)。そして、規則一二〇条が一四歳未満の幼年者との接見を原則的に禁止しているのは、前記のとおり、犯罪者等の拘禁施設による情操に対する悪影響から幼年者を保護するためであるが、このような影響の有無、程度という点では、受刑者の場合であると未決拘禁者の場合であるとによって何ら異なるところはないから、両者を別異に取り扱う合理性は全くないのである。また、このような幼年者との接見の制限によって、未決拘禁者の刑事訴訟手続上の防御権行使に支障が生ずるということは考えられないところである。さらに、規則は、前記のとおり、個別的、例外的に所長の裁量による禁止の解除を認めているほか、拘禁施設による情操に対する影響のない信書の発受については、年齢による制限を行わず、受刑者に比して有利な取扱いをしている(規則一二九条、一二九条ノ二参照)のである。したがって、幼年者との接見について、未決拘禁者と受刑者とで取扱いを異にしなければならない合理性はないといわざるを得ない。

2 次に、原判決のように、未決拘禁者について幼年者の心情を害する「具体的危険」があると認められる場合にのみ接見を制限することができるとすることは、矯正機関に対して、実際上ほとんど不可能に近い判断を強いるものというべきである。すなわち、原判決が未決拘禁者の自由を制限することの許される場合として判示するもののうち、「勾留の目的のため」及び「監獄の管理運営保持の目的のため」ということについてはともかく、「他の利益に対する具体的な危険を避けるため」ということについては、もともと、監獄の長といえども、必ずしもそのような具体的な危険の有無を判断するための十分な情報を持っているとはいえないのである。これを規則一二〇条との関係でいえば、同条の趣旨を、原判決の判示するとおり「事物の弁別能力が未熟な幼年者を在監者に接見させることは、幼年者の心情を害する具体的な危険が大きいということに鑑み、このような幼年者の心情の保護を目的としているもの」(原判決の引用する第一審判決二五丁裏一〇行目から二六丁表二行目まで)と解するとしても、監獄外にいる特定の人についての情報を特に把握することのできるような立場にない監獄の長が、個々の場合に、当該幼年者の心情を害する具体的危険の有無を判断するなどということは、およそ不可能若しくは極めて困難なことである。仮に、監獄の長において、個々の事案に応じてその都度接見を求める幼年者の心情を害する具体的危険の有無についての判断をすべきであるというのであれば、その前提として、監獄の長は、当該幼年者側の事情として、その生育歴、家族構成、現在の生活・教育環境はもとより、接見を求める在監者との関係、とりわけ過去ないし現在の交流状況や内容等およそ幼年者の心情に影響を与えるであろうと考えられる様々な要因について、あらかじめその情報を得ていなければならないことになる。しかしながら、監獄の長がその職責からして、そのような情報の調査・収集を行い得べき立場にないことは、その性質上自明のことである。例えば、在監者との信書による交流を採ってみても、確かに、監獄の長は信書の検閲(法五〇条、規則一三〇条)によってその発受の事実は知ることができるが、右検閲は、未決拘禁者については、専ら未決勾留の目的である逃亡及び罪証隠滅の防止と監獄の紀律保持若しくは施設の管理運営上の支障の回避を目的としてなされるものであって、原則として処遇上の事項を把握するような視点ではなされておらず、ましてや、将来の幼年者との面会を想定して、面会の相手方となる可能性を有する幼年者についての心情に関する情報を収集するというような視点から信書の内容の調査ないしその記録をするというようなことはなされていないのである。また、仮に右のような必要な情報の調査や収集をなし得たとしても、それに基づいて当該接見を認めることにより当該幼年者の心情を害する具体的危険の有無を判断するというようなことは、実際上、ほとんど不可能というべきである。

四 以上述べたところから明らかなように、法五〇条の委任に基づいて定められた規則一二〇条の規定は、幼年者の心情保護という目的を実現するため、幼年者を在監者と接見させることは、幼年者の心情を害する一般的な危険があることから、一四歳未満という年齢による基準を設けて原則的に接見を禁止すべき旨定めたものであって、原判決の判示するように当該幼年者の心情を害する具体的な危険がある場合にのみ制限ができることを定めたものではないのである。しかるに、規則一二〇条による接見制限を制限的に解釈し、東京拘置所長の判断が裁量判断を誤っているとした原判決は、法四五条、五〇条、規則一二〇条、一二四条の解釈適用を誤り、ひいては拘置所長の有する裁量権の範囲についての判断を誤ったものであって、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

第二点 原判決には、国家賠償法一条一項の「過失」について、その解釈適用を誤った違法があり、最高裁判所の判例にも抵触するものであって、その違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

一 原判決は、「東京拘置所長は、刑政等に関する専門家として、法が、刑事被告人の行為につき、前記二に述べた範囲においてのみ制限できることを当然の前提としていること及び規則一二〇条、一二四条が、右の法の趣旨にそって解釈適用すべきであることを知悉すべき責務があるものというべきである。そして、同所長は、在監の刑事被告人から幼年者との接見につき申請があった場合に前記三、2に説示した制限条項に該当する事由があると認められたときには、これを許さないことができ、その許否判断に当たり一定の裁量の余地があることも前記説示のとおりである。しかしながら、被控訴人と秋子とが接見をすることについては、何ら右の制限条項に該当する事由も認められず、却って右両者が実親子ではないとの点を除けば従来東京拘置所において幼年者との面会を許可する場合の諸条件を充たしており、その身分関係の点も、やや特殊なものがあるとはいえ、これのみを捉えて接見を拒否するに足る実質的な問題も見当たらない本件の事実関係の下において、東京拘置所長が右の事実関係を事前に把握しており又は容易に把握し得たとの前認定の事情を前提とする限り、同所長が本件不許可処分をしたことについては、その職務の執行上に過失があったものといわざるを得ない。従前、法及び規則の解釈適用に関して原判決及び本判決のような立場を明らかにした判例・学説等がなく、また、刑事被告人と一四歳未満の幼年者との接見の原則的禁止を当然とするような風潮があったからといって、右の過失の存在が左右されるものではない」(原判決一九丁裏六行目から二〇丁裏五行目まで及び原判決の引用する第一審判決三一丁裏四行目から八行目まで)旨判示して、本件不許可処分を行った東京拘置所長にその職務の執行上過失があったと認定判断している。右判断は、「規則一二〇条は、その文言にかかわらず、刑事被告人と幼年者との接見について、勾留の目的又は監獄の正常な管理運営保持の目的のため必要かつ合理的な範囲における制限及び幼年者の心情を害する具体的な危険を避けるための制限を定めたものであり、同条は、規則一二四条と相侯って、右に述べたとおり適用されなければならない。そして、監獄の長は、刑事被告人と幼年者との接見につき申請があった場合には、右に述べた制限に当たらない限り、規則一二〇条、一二四条を適用して、その接見を許さなければならないものと解すべきである。」(原判決の引用する第一審判決二八丁裏三行目から二九丁表初行まで)との見解を前提として、そのような解釈によらないで不許可処分をした東京拘置所長に過失があるとしたものであることが明らかである。

二 ところで、国家賠償法一条一項の公務員の「過失」については、ある事項に関する法律解釈につき異なる見解が対立し、実務上の取扱いも分かれていて、そのいずれについても相当の根拠が認められる場合に、公務員がその一方の見解を正当と解して公務を執行したときは、後にその執行が違法と判断されたからといって、直ちに右公務員に過失があったものとすることはできないところであり、このことは、判例及び通説の認めるところである(最高裁昭和四九年一二月一二日第一小法廷判決・民集二八巻一〇号二〇二八ページ、最高裁昭和四六年六月二四日第一小法廷判決・訟務月報一七巻八号一二五九ページ、東京高裁昭和五二年二月一五日判決・訟務月報二三巻二号二五一ページ、今村成和・国家補償法一一四ページ、古崎慶長・国家賠償法一五四ページ、加藤一郎編・注釈民法(19)四〇八ページ(乾昭二))。

これを本件についてみると、法四五条、五〇条、規則一二〇条、一二四条の解釈について原判決の採ったような制限的解釈をしたのは本件の第一審判決及び原判決が初めてであり、右各法令の文言上は、一四歳未満の幼年者との接見が原則として禁止されていることが明らかである上、学説及び実務の取扱いをみても、監獄法令に関する代表的註釈書である小野清一郎ほか・改訂監獄法(ポケット註釈全書)では、「一四歳未満の者に接見が許されないのは、事物を弁別する能力の未発達な幼年の接見者の心情を害さないという趣旨からである。したがって、在監などといった意味を全く知覚しない乳児の場合を除いては、施規一二四条により処遇上の必要性を認めて親子の対面をさせることなども、在監者本人に良い影響を与えるとしても、接見者のためによほど慎重を要するのである。」(三四一ページ、三四二ページ)とされ、また、実務家によって書かれた代表的な執務に関する手引書である玉井策郎ほか・未決拘禁実務提要でも「拘禁施設という建物そのものから受ける影響等を考慮し、一四歳未満の子供には教化上、不適当として接見することを許していない。」(三一三ページ)とされていたのであって、このような場合には、通常の公務員としては、これを文言どおり解釈して事務を処理するのが当然であって、原判決のいうような制限的解釈に立脚することなくなされた東京拘置所長の不許可処分に国家賠償法一条一項にいう「過失」があったとすることはできないものである。

三 以上のとおり、東京拘置所長に過失があるとした原判決の判断は、国家賠償法一条一項の解釈適用を誤った違法を犯したものであり、また、前記最高裁判所の判例にも抵触するものであって、その違法が原判決に影響を及ぼすことは明らかである。

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